76メートルという県内一の落差を誇る滝。
雄滝(おだき)、薬研滝(やけんのたき)、雌滝(めだき)の3つに分かれます。
JR湖西線の車窓など、遠くからも眺めることができ、その遠景は白布を垂れかけたように見えることから、別名「白布の滝」や「布引の滝」とも呼ばれています。
命名したのは将軍足利義輝とも伝えられています。
美しく堂々とした名瀑です。
相撲行司の祖と伝えられている志賀清林を顕彰するために大正7年に建てられた碑
志賀清林は、奈良時代の人物で、小さい頃から相撲が強く、その名は近江の国ばかりでなく、近畿全域に響いたといわれる。聖武天皇の時代(724~729年)に、相撲の儀式を詳しく定め、相撲四十八手の基礎を創案した功績者でもある。
大物の山手、四ツ子川が谷間を抜けた所に、直進する流れを南に流すよう石積の堤が築かれている。洪水ごとに何度も決壊した場所で、現在の石積は、嘉永5年(1852)の洪水後、6年近い歳月を費やして完成したと伝えられる。
堤の上巾15m、長さ200mの堤。
小野氏のゆかりの地を象徴するのが小野神社です。
祭神である米餅搗大使主命(たかねつきおおおみのみこと)は、我が国初の遣随使小野妹子の祖先といわれています。
米餅搗大使主命は、応神天皇の頃に日本で初めて餅つきをしたと伝えられ、菓子づくりの神様として崇められています。
境内には小野篁神社や、小野道風神社があり、いずれも国の重要文化財に指定されています。
おのとうふうじんじゃ
平安時代の書家、小野道風を祀るのが小野道風神社です。小野道風といえば、柳に飛びつく蛙の必死の姿を見て、書に励んだエピソードはあまりにも有名です。
小野神社の飛地境内にあり、小野篁神社と同様に切妻造の本殿です。
暦応4年(1341年)の建立とされ、手挟という部分に優秀な唐草彫刻が施されており、当時の彫刻を知る上で貴重な建物になっています。
おのたかむらじんじゃ
小野神社の摂社で同じ境内にあり、漢詩文で名を挙げ、「令義解」(りょうのぎげ)の撰修に参画した小野篁を祭るのが小野篁神社です。
木々が生い茂る静かな雰囲気の一隅に、切妻造(きりづまづくり)の本殿がひっそりした佇まいを見せています。
切妻造の本殿は全国的にも少なく非常に珍しいもので、県下では小野道風神社と、天皇神社の本殿を合わせ、わずか3棟しか残っていません。
室町時代前期の建物です。